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妊娠中、子育ては大変だよ~と色んな人に言われ、それなりの覚悟をしてきたが、本当に大変だった。
まだ産まれて50日も経ってないが、個人的には仕事より大変だと思っている。

まず、産まれた直後は授乳回数が多いのと、自分の手際が悪いせいでほとんど寝られない。
それから自分が新米過ぎて、泣いている赤ちゃんを前に「どうすれば良いか判断つかない」ことが多くて困ってしまう。
仕事で言うと「新人なのに、ほとんど寝られない死にプロジェクトに入れられ、効率も悪いから更に寝られず、難問を目の前に途方に暮れている状態」という感じ。

これも2週間も経つと、授乳間隔も長くなり、お風呂だのオムツ替えだのコツも覚え、まとめて寝られるようになる。
一方、赤ちゃんに体力がついて、寝るか飲むか抱っこ以外の時は泣き続けるという技を覚えるので、自分ひとりの時間を作るのは相変わらず難しい。
そもそも何故泣いているか理由がわからないので、手の施しようがない事も多い。
あとは、勢い良く母乳を飲みすぎて息をつまらせたり、よく吐いたりと、まあ心配事も絶えない。

首が座ってくれれば少しは楽になるかも、と思うけど、今度は手を変え品を変えて違う大変さが出てくるんだろうなぁ。その辺にあるものを勝手に食べちゃったり、風邪や病気にかかるようになったり、歩いてどこかに行ってしまいそうになったり。
小学生になれば、手はかからなくなるだろうが、通学が心配になり、成績が心配になり。
中学・高校では、交友関係が心配になり、進路が心配になり、と、新たな心配事が増えてくるだろう。

そんなわけで、今後はるか遠くまで続く長い道のりを俯瞰し、子育ては大変だ、正直仕事よりずっと大変なことであると思っていた矢先、Facebookで回ってきたこんな人気記事を読んだ。

子育てを大変だと思う本当の理由-Amebaブログ

この記事は、専業主婦で3人の子育てをしているママさんが書いている記事。
勝手に要約すると、最近結婚した男友達が、子育てと仕事を比較して「子供がいると座って休む暇もないって女の人は言うけど、勝手だよな。俺達がやってる仕事だって休みなんて殆ど無いよ」と発言したのに対して、作者は「いやいや、子育てが大変なのは、自分の意志とは無関係に自分のやろうとしてた行動を子供に遮られることの連続。それが大変なの」と反論している、というもの。

確かに、私も子供が産まれてから、風呂に落ち着いて入れたことは一度もない。ゆっくり食事もできないし。
寝ているのを見計らって食事を始めると、何故か気付いて泣き出すので、今度はバウンサー(ゆりかご)に入れて足で揺らしてあやしながら、何とか食べきる。でも、本当に大泣きになったら、食事も中断して対応。
この記事も、書いている途中で何度も中断されつつ、夜中にコソコソ起きだしたりして数日に分けて書いた。
要するに、生活の中心が子供になり、自分のやりたいことは全て二の次になるということだ。

で、確かにそうなんだけど、正直、上のブログ記事を読んで違和感が残った。
仕事より子育てが大変な理由って、それだけじゃないと思うんだよね・・・
だって仕事でも、マネージャー以上の役職につけば、自分の時間は二の次。部下や後輩が自分を訪ねてきたり、顧客から電話があれば、自分の仕事はすぐ中断して対応するのが普通だ。スケジュールをブロックしておかないと、アシスタントや他の人が予定を入れてしまうから、自分の時間なんてない。忙しい仕事だと、食事をゆっくり食べることなんて皆無。私も、自分の仕事をする時間は深夜と早朝しかない、なんて仕事している頃はザラでしたよ
それでも、子育てのほうが仕事より大変だと思う、これはなんだろうな・・・

と考えてみて、それでも子育てが仕事より大変な本当の理由を2つほど付け加えてみることにした。

1)仕事は通常、役職や経験に応じた責任範囲が与えられるが、子育ては新人からいきなり無限責任

これは、核家族化が進んだ弊害かもしれないけど、現代の子育ては、出産直後から「子供」という大きな責任を新人のパパとママの二人、家庭によってはママ一人でしょい込んで、孤軍奮闘する。

例えば赤ちゃんの時だと、突然ギャンギャン泣きだして、お乳をあげてもオムツを替えても何をしても泣き止まないとか。首がなかなかすわらないとか、言葉がなかなか出ないとか。少し大きくなっても、アレルギーが出たり、多動なのかと疑ったり、「どこか具合が悪いのだろうか」「という不安になることはたびたびある。「病院に行くべきだろうか、いやいやそこまでではないかも・・・」
だけど自分で判断できないので「どうしよう・・・」という気持ちが募る。

「ムラ」で子供を育ててた時代とか、大家族だった時代とかにはそういうことは無かったんだろうけどね。
心配症の親だと、これが毎日毎時間続いて、ノイローゼみたいになっちゃう人もいる。
インターネットの子育て掲示板とかを見ると、毎日不安で仕方ない、子どもと二人でいるのが怖いという人で溢れている。

これが仕事なら、「ここから先は病院に行かなきゃ判断できないんだから、心配しても無駄」とかさっさとに心の整理をつけて次に進んだりするんだが、子供相手だとそういう発想にならないんだよねぇ。

一方、仕事ではこういうことはほとんど起きない。
多くの場合、仕事では役職や経験に応じて、責任範囲が有限であり、何も知らない新人が事業存続に関わるような意思決定をさせられることはない
たとえば、新人が事業の存続に影響する意思決定を任されることはない。社員の意思決定は、上司である課長や部長の責任だし、新人なら大変なことになる前に引き取ってもらえる。
役員クラスであっても、大きな意思決定をひとりですることは珍しい。上場企業でも、数千万円以上の意思決定は役員会議にかけられるのが普通で、役員一人で決めることはない。

でも、子育ては違う。

出産直後から、新人ママであっても、子供の命を背負い込み、毎日のように子供の状態を判断し、何をすべきか意思決定をする。下手をすると命に関わるかもしれない重大な意思決定をすることも多い

正直、ギャン泣きしたり、動きが変だったりなどするたびに、そんな判断を毎日のようにやっていたら、精神的に疲れちゃいます。
子育てママが「座って休む暇もない」と愚痴るのは、本当に肉体的に座って休む隙がないということではなく、精神的なものが大きいんじゃないかと思う。

2)多くの仕事は報酬や評価につながるが、子育ては評価がわかりにくく、自分の価値を見出しにくい

二番目はやっぱりこれ。
子育ては精神的にも肉体的にも大変な仕事だが、ママが子育てするのは当たり前と思われているので、評価につながることはあまりない
もちろん、子供が笑顔を見せてくれたり、「ママありがとう」と感謝してくれたりすれば、百年の疲労も吹き飛ぶわけですが、実際には子供は何をしても泣いてるだけだったり、言うことを聞いてくれなかったりの連続なわけですよ。

一方、仕事といえば、まず少なくとも給料はもらえる。「この仕事、本当にヤダ」と思っても、給料がもらえるから何とか頑張ろう、と思って気持ちが続いたりすることもある。
上司や先輩が「お、頑張ってるね」と言ってくれる言葉に救われたりすることもある。
何かの製品を生み出している人なら、店頭に並んでいる製品を見ながら、達成感を味わうことだろうし、顧客相手に仕事をしている人なら、お客さんに感謝の言葉を言われることも少なくない。

仕事も、そう簡単に評価や報酬に直結はしないのだが、それでも仕事では何らかの形で、自分が貢献していることを他人に認められ、自分の価値を感じることは多かれ少なかれ有るだろう。

子育ては違う。
子供にもよるが、どんなにママが頑張っても笑顔一つみせてくれない子供もいる。
一生懸命作った離乳食を全部こぼしたり、食べても吐き出したり、そのうちふざけてテーブルの上のものをガッシャーンと落としたり。そういう時に限って下の子供が大声で泣き出したり。

家族も評価してくれるとは限らない。
上のブログ記事の男性みたいに「子供欲しかったくせに休む暇もないとか勝手だよな」とか言われたら最悪だが、そこまで行かずとも、子育てを感謝されることもなく、「子供と遊んでるだけでいいよなぁ」とか「日曜くらい休ませてくれよ」とか、暗に子育てを大変だと理解していない発言をされることも有るだろう。

当然ながら、子育てに対する報酬はないわけで。
ベビーシッターを雇ったら、時給2000円、一日10時間、月20日間としても、毎月40万円の給与に相当する仕事を、世のママたちはやっているわけですよ、給与ゼロで。

そういうわけで、子育てをしていても評価につながることなどはなく、子供の成長を見ていて気持ちが救われる、疲れが吹っ飛ぶ、というところだと思うが、当の子供にも子育ての成果が見られないと感じるときには、「ああ何のために子育てしてるんだろう」「自分の価値って何だろう」とついつい思ってしまうママは多いんだろうな、と思う。

以上、回ってきた記事を読んでいて、実際にバリバリ仕事もしていた立場から違和感を感じたので、自分なりに子育てのほうが仕事より大変と思う理由を分析してみたのだが、どうだろうか。

さて、もちろん子育てはとても大変だけど、子供が可愛いと思う瞬間は多い。
一方、上に書いた理由もあり、仕事もしている自分もあるからバランスが取れるのだろう、と思うから、仕事は続けたいと思う。
産む前に「女性は、子供が産まれると考え方が変わる人が多いから」と色んな人にさんざん言われたけれど、仕事をしている自分が自分らしいと思う気持ちは変わらなかったかな。
もちろん、復帰してみないとわからないが、何らかの形で仕事は続けるだろうと思った。
そして、この子のためにも仕事は続けたい、と強く思うようになった。
この辺りの気持ちの変化はまた別の記事で。