Fotolia_121084897_XS

妊娠38週に入り、こどもと公園に遊びに行ったりなど、産休を楽しんでます。
とはいえ、あさってが出産予定日なので時間は限られているんですが(汗)、この件はどうしても記事にしておきたいと思い、筆を執りました。

■ 電通女性社員の過労死事件を巡って-「100時間程度の残業で…」発言の是非

昨年(2015年)末、電通の新入社員の女性が自殺。
この件が、今年の10月7日になって、長時間の過重労働が原因だったとして労災認定されたことが明らかになった。

これを受けて、武蔵野大学の長谷川教授が「月あたり残業時間が100時間を超えたくらいで過労死するのは情けない」とTwitterに投稿し、「時代錯誤だ」などと大きな批判を浴びた。
長谷川秀夫教授「残業100時間超で自殺は情けない」 投稿が炎上、のち謝罪 

この方は、もともと東芝の経理部門に勤務しており、その後、コーエイやニトリなどの取締役を経た後、現在は武蔵野大学の教授をやっているようである。
上場企業の経理部といえば、予算決算時期は会社泊まり込み・土日出勤は当たり前で、残業200時間超(しかもサービス残業が主)なんてところも未だにザラだろう。
そんな中で、自分がやらなきゃ会社が大変なことになるという責任を感じつつ、仕事にプロ意識と誇りを持ってやりきってきた経験から、ついツイートしてしまったのかもしれない。

問題になったツイートがこちら。
 
月当たり残業時間が100時間を越えたくらいで過労死するのは情けない。会社の業務をこなすというより、自分が請け負った仕事をプロとして完遂するという強い意識があれば、残業時間など関係ない。自分で起業した人は、それこそ寝袋を会社に持ち込んで、仕事に打ち込んだ時期があるはず。更にプロ意識があれば、上司を説得してでも良い成果を出せるように人的資源を獲得すべく最大の努力をすべき。それでも駄目なら、その会社が組織として機能していないので、転職を考えるべき。また、転職できるプロであるべき長期的に自分への投資を続けるべき。

このツイートは大変なバッシングを受け、長谷川教授は謝罪のコメントを出したが、その謝罪もバッシングの対象となって、大学からは処分も検討するなどと言われている状況だ。

しかし、ネット上の反応を見ていると、長時間労働は仕方ない、俺はもっとやっていた、などとお考えの方は少なくないように見える。
長谷川教授バッシング以降は影を潜めたが、FacebookなどのClosedなSNSでは「え、100時間で自殺?少なくない?(注)」「俺なんか若いときは残業150時間超えザラだった」などのコメントがよく見られた。 
(注)認定105時間なので、実際の残業時間はもっと長く、150時間程度だったのでは?という説もある。 しかし後で述べるように時間の問題ではない。

過去に仕事で「自分がやらなきゃ誰がやるんだよ」という極限状況に追い込まれ、給与に見合わない多大な責任を負わされ 、長時間労働を強いられ、それでも歯を食いしばってやりきった人たち。
更には、それが自分の成長の糧になったと信じている人たち。
そういう人たちが結構いて、こんな反応をしているように見える。

■ 「プロ意識があれば、長時間労働は苦にならないはず」とは、会社に都合よく洗脳されちゃった社畜の発想ではないのか

長谷川氏コメントで、私が一番引っかかったのは、
自分が請け負った仕事をプロとして完遂するという強い意識があれば、残業時間など関係ない
という部分である。
まるで、プロ意識がある人は、長時間労働で自己犠牲することを厭わないべきだ、と言っているようで、おかしな話である。

後述するが、プロ意識を持つことと、長時間労働をすることは全く別物である。
プロ意識を持って仕事をし、短時間で切り上げることは可能だし、プロだからこそ自分の時間を大切にし、効率的に仕事を進めるべきだ。

「プロ意識」を理由に長時間労働を正当化するなんて、敢えて不躾な言い方をすると、これは完全に「社畜」として洗脳されてしまった発想ではないか。

少人数しかいないのに、多大な仕事量。これをこなさないと、会社が大変なことになる…俺がやるしか無い、と思ってひたすら頑張る。
それって、その責任感の強さに付け込まれて、仕事を大量に押し付けられただけではないのか?

土日も出勤して150時間残業してるけど、50時間しかつけられず、残り100時間はサービス残業。それでも、50時間つけられれば手取りで10万は増えるし、嬉しい。 奥さんも喜ぶ。
でも、本当は残業150時間すれば手取り30万円増えるはずなのに、欲の無さに付け込まれて、働かされているだけではないのか?

更には、その理不尽な状況を「プロ意識」などと、あたかも自分の意思で選んだかのような言葉で形容してしまう。
それって洗脳されているだけじゃないのか?

■「社畜」に悪い人はいない。むしろ、世の為人の為に頑張る善人が、社畜として洗脳される

さて「社畜」という言い方を不快に感じる人もいると思うので補足する。
ここでいう「社畜」とは、「会社のためになる、組織のためになることを目的に、自分の私生活や信念を放棄してでも働く人」という意味で使っている。
またの名を「企業戦士」とも言う。 

所謂「社畜」には悪人はいない。
むしろ彼らは、会社に入れば、自分を犠牲にしてでも、会社のために頑張ろうと考える素直な善人であり、人のために頑張ることに生きがいを覚えるような人たちだ。
どんなときでも自分の都合を優先する人や、自分勝手な人は、絶対に社畜にはならない。
責任感が強く、無欲で、でも自己成長欲の強い善人ほど、会社という組織に吸収された時、社畜として洗脳されやすい。
(ハンナ・アーレントの定義に従えば悪人かもしれないが…)

こういう「社畜(企業戦士)」は、会社のために自己犠牲を払って働くという宗教に洗脳されているので扱いやすく、なまじやり遂げる能力もあるから出世もしやすい。
しかも、それで成長できたなどと自己洗脳し、自分のことを「社畜」だなんて思っていないので、余計にたちが悪く、部下や後輩に対しても、同じことを推奨する(時に強要する)。
結果として、長時間労働を美徳とする日本独特の企業文化や、どこかで長時間労働を乗り越えないと出世できない評価の仕組みはなくならない。

その文化と仕組みの中で、一番損をするのは誰だろうか?
それは明らかに、女性であり、また子育てや家庭にも時間を割きたいと考えている若い男性である。

■ 妊娠・出産・育児を通じて気がついた、長時間労働を美徳としてはならない本当の理由

かく言う私も、36歳になるまでずっと、長時間労働も厭わず働く「社畜」であった。
東大の博士課程を中退して、拾ってもらったコンサルティングファーム。
新入社員の頃は、夜中の2時3時まで仕事し、土日出勤も多々あったが、「給料も貰えて、将来の展望も描ける。大学院で研究してるより恵まれた環境だ~」と思って、何の不満もなかった。
体力もあったのか、夜中まで猛烈に働くことで悪名高い上司(笑)と組んで、徹夜続きで周囲の社員が次々倒れる中、特に体も壊さず仕事を続けていた。
そのせいなのか、ある程度早く出世もさせてもらったと思う。

「こんなやり方じゃダメだ、人生が破綻する」と気づいたのは、36歳で妊娠して、子どもが生まれてからだった。

子育ては、自分が主たる責任者となると、本当に時間とエネルギーを吸い取られる。
子どもを朝起こし、着替えさせ、何か食べさせて、保育園に送る。
夕方には仕事を何とか終わらせ、いや、終わってなくても会社を出て、保育園に迎えに行き、1時間くらい一緒に遊んで、風呂に入れて、寝かしつける。
終わらない仕事は、子どもが寝静まってからからやるしかない。
仕事の間も、熱などで保育園から電話がかかってくると、自分が迎えに行くか、シッターを手配し迎えに行ってもらう。
病気になれば病院にも連れて行く。家事も、子どもがいると大人だけの生活の2倍、3倍に膨れ上がる。

うちは、主人と私は完全に育児・家事を折半しているし、家事サービスを雇って、家事は半分以上外注している。
それでも私の感覚としては、仕事にかけられる時間は社畜時代の半分程度になった。
私が組織の中で成功するには、その半分の時間で、長時間労働の人と同じ以上の価値を提供するか、或いは常駐のシッターを雇って子育てを完全外注し、長時間働くかのどちらかしかないことに気がついた。

とりあえず、現在の私は、前者の効率化の道を突っ走っているが、まだ道半ばである。
子育てと仕事を両立するようになってから、仕事の効率は抜群に良くなった。
だが、半分の時間で、自分の2倍の時間働く優秀な人たちと同等以上の価値は、提供できるには至っていない。

また、女性が男性並みの激務をこなそうとすると、ましてや子育てと激務を両立しようなどとすると、体を壊して倒れるのがオチだ、ということにも初めて気がついた。
独身時代は激務で徹夜続きでも、体もメンタルも壊さず、生理が遅れたことすらなかった私が、出産して仕事に復帰してから、初めて突発性難聴になりかけたり、中耳炎になったりした。
そういえば、私の母はその昔、私と弟を保育園に預けてデザイン会社で働いていたが、体を壊して仕事を辞め、専業主婦になったんだった。
子育てしていなくても、男性並みの激務で体を壊して、仕事を辞めた友人や、会社の後輩のことを思い出した。
女性の方が普通は体力的に不利なんだ…というアタリマエのことに気がついた。

■ 長時間労働を美徳とする企業文化で、女性が活躍するのは圧倒的に不利であるという事実


男性に混ざって働く女性たちが、このジレンマに陥る状況を、かの上野千鶴子氏は「ネオリベのカモ」と呼んでいる。
ネオリベラリズムの下で「頑張れば、評価される」という「機会均等」を与えられ、たしかにそれは平等だと信じて競争に参入し、頑張ってしまう。
しかし、実際に戦う際の基準は、子育てや家庭の責任を奥さんに任せ、長時間労働も厭わず働ける男性たちの基準である。

この家庭責任を免れた男性労働者たち、一歩家を出れば「単身者」のふりをできる男たちと「対等の」競争に参入するのは、女性にとって最初から負けがこんだ勝負です。家庭を持つことをあきらめるか、他の誰か(実家の母や姑)に家庭責任をおしつけるか、さもなければがんばってカラダをこわすのがオチでしょう。つまり「男並みの競争」とは、もともと男に有利にできたルールのもとでの競争を意味します。そのなかにすすんで入っていく女が、悲壮に見えたり、あほらしく見えたりするのも、当然でしょう。こんな「機会均等」、だれが望んだ?……と女性が言いたいきもちは無理もありません。ー 上野千鶴子「女たちのサバイバル作戦」


女たちのサバイバル作戦 (文春新書 933)
上野 千鶴子
文藝春秋
2013-09-20
¥ 864プライム 


長時間労働を美徳とし、前提とするような企業文化や評価システムでは、体力的に男性より劣る女性、そして家庭でのケア責任を持つ女性は全く平等に戦うことなど出来ない。

私は女性として働きながら、自分が子どもを産むまで10年以上、そんな当たり前のことにも気づかなかったのだ。
そして、長時間労働も厭わず頑張ってきたが、その働きぶりこそ、女性の働きやすさを阻害するアンチロールモデルだったとは全く思わなかった。 
出産をきっかけに、そのことに気付いたときは愕然とした。

だからこそ反省を込めて 、今の私は子育てと両立しながら、短時間で生産性高く、価値の高い仕事をして成功できるか、に挑戦しているのだと思う。

■ 「カモ」になるのは女性だけではない。子育てに参画する男性も同じ

近年は、子育てに参加する若い男性も増えてきている。

私の主人は、日系メーカーで働いていて、激務ではあるが、私とほぼ折半で子育てを行っている。
朝は保育園に子どもを送ってから、長い通勤時間を経て、周囲の目を気にしながらフレックスで出勤。
朝遅くなった分は、夜の残業で取り返したり、子どもが寝静まってから夫婦で机に向かったり、土日に家で仕事して何とか取り戻そうとしている。

私が第二子を妊娠して、更に仕事まで忙しくなったとき、子どもも体調を崩して、彼の育児負担が大幅に増えてしまった。
それがちょうど仕事の忙しい時期と重なってしまい、一度倒れて入院してしまったことがあった。
長時間労働の激務を前提として、子育てもちゃんとやろうとしたら、男性だって倒れてしまうのは同じことなのだ。
それとも、上野千鶴子氏の言うとおり、誰か(奥さんや実母)に子育てを完全委託するか、子どもを持つことを全く諦めるかだ。

■ プロ意識を持つことと、長時間労働をすることは全く別物である


電通の話に戻るが、この会社には中興の祖と言える吉田秀雄氏が残した「鬼十則」という、私でも知っている有名な心得がある。
プロとして仕事をするための心得を10か条にまとめたものだ。
「鬼十則」(昭和26年制定)
1. 仕事は自ら創るべきで、与えられるべきでない。
2. 仕事とは、先手先手と働き掛けて行くことで、受け身でやるものではない。
3. 大きな仕事と取り組め、小さな仕事は己れを小さくする。
4. 難しい仕事を狙え、そしてそれを成し遂げるところに進歩がある。
5. 取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは…。
6. 周囲を引きずり回せ、引きずるのと引きずられるのとでは、永い間に天地のひらきができる。
7. 計画を持て、長期の計画を持っていれば、忍耐と工夫と、そして正しい努力と希望が生まれる。
8. 自信を持て、自信がないから君の仕事には、迫力も粘りも、そして厚味すらがない。
9. 頭は常に全回転、八方に気を配って、一分の隙もあってはならぬ、サービスとはそのようなものだ。
10. 摩擦を怖れるな、摩擦は進歩の母、積極の肥料だ、でないと君は卑屈未練になる。
ここに書いてあることは全くそのとおりだと私は思うし、これぞまさに「プロ意識」と言われるものだ。
仕事は自ら作り出し、先手先手で働きかけ、周囲を引きずり回してやるものである。
頭は常にフル回転で、長期の計画を持ってやる。

人から仕事を請け負って、長時間労働を苦とも思うな、なんてどこにも書いていない。

プロ意識を持ち、頭を常にフル回転させるためには、長時間労働などすべきではない。
むしろ、自分のその能力の高さを、他の仕事にも活かせるよう、出来るだけ効率よく仕事を片付け、別の仕事にも時間を使えるようにすることこそ、プロがやるべきことだ。

そして、ここに書いてあることは短時間の勤務であっても出来ることだし、子育てを担う女性や男性であっても出来ることだ。
限られた時間の中で、自分で仕事を作り出して、自らリードしてやる積極性を自ら引き出し、生産性高く仕事をすることが、現代のプロフェッショナルに求められることだ。
会社に洗脳されて「長時間労働」を厭わず働くことなど、「社畜」であって、プロ意識では決してない。
そして、そのほうが経済も活性化し、日本経済も成長することだろう。

実際、ドイツや米国などの労働生産性の高い国々が、先進国では経済成長を続けている。
経済成長に長時間労働が必要だ、などと言うのは、日本が生産性の低い後進国だったころの話に過ぎないのだ。

生産性高く価値を出すのがプロである、という意識がもっと普及すれば、過労死なんてなくなり、子育てをしながら働く女性も男性ももっと活躍しやすくなり、先進国で最低レベルの日本の労働生産性も高くなり、経済成長にもつながるだろう。