最近、娘に読み聞かせる絵本を探していて、自分が小さい頃に読んだ絵本や児童書に出会うことが多い。
先日は、私が小学校に上がる頃に図書館で何度も借りてむさぼるように読んだ、モモちゃんシリーズを発見。
当時4巻までしかなかったシリーズも、いつの間にか続編が出ており、6冊に増えていた。 
今年の2月に、著者の松谷みよ子が亡くなっていたことも、今頃知った。
いずれ娘も読む名作だから・・・と思い、Amazonで6冊ともハードカバーで購入。

モモちゃんとアカネちゃんシリーズは、松谷みよ子の実話を元にした話である。

松谷みよ子の元夫の瀬川拓男氏は、彼女が若いころ身を捧げた人形劇の世界で、劇団を創設した団長であり、また、松谷を民話研究の世界に誘った師でもある。
モモちゃんが産まれた家は、劇団員の宿泊所や練習所、製作所を兼ねた場所で、良く言えば賑やかな、悪く言えば、騒々しくて赤ちゃんをゆっくり育てるような環境ではなかった、と松谷は振り返る。
劇団員たちは、その家の中をまるで小鳥のように自由に飛び回り、時には赤ちゃんのベッドや赤ちゃんの頭の上まで歩きまわる。
それだけでなく、師であり団長でもある夫と、小鳥たちとの間には、様々な愛憎劇が繰り広げられたのだった。

夫はその小鳥たちの一羽と不倫関係となり、松谷自身も愛憎劇の中で苦しみ、持病の結核も悪化して、心身をおかしくしてしまう。
そんな中でモモちゃんを育てながら、二人目のアカネちゃんを妊娠、出産した松谷はとうとう離婚を決意する。
自分と二人の娘を守るために。

シリーズ3作目の「モモちゃんとアカネちゃん」は、ママの体が病におかされ、パパとの離婚を経験した時期を描いたものだ。
物心ついてから、パパが家にいたことがなかったアカネちゃんこと松谷の次女は、なぜ自分にはパパがいないのか、ママとパパはなぜお別れしたのかをずっと不思議に思っていた。
2作目を読んだ当時5歳の次女が、つぎはそこんとこを書いて欲しい、と松谷にお願いしたのが、当時ではめずらしい、離婚を幼年童話で書いたきっかけだったという。




ママである松谷が心身を蝕まれていく様子は、「死に神」として描かれる。

死に神はママのことがひどく気に入ったようで、なかなか離れない。
眠っているママの胸の上にいることもあり、ママは息をするのも苦しいが、身動きもできず、声も出ない。
このままでは死んでしまう。そうしたら子どもたちが困るから、なんとかしなくちゃ・・・

そして、ママは森へでかけ、転んだり、倒れたりしながら歩き続け、「森のおばあさん」の家にたどり着く。
森のおばあさんは、ママが何も言う前から、あんたが来た理由はわかるよ、死に神にとりつかれているんだろう、という。
そして、一つの植木鉢に植えられた二本の枯れた木を指さし、これがママとパパであるという。
ママは「そだつ木」、パパは「あるく木」だという。
おばあさんは、うえ木ばちをもって外へ出ました。そして二本の木をひきぬくと、よく根っこを洗いました。それから森の土をほって、二本の木を別々にうえました。
するとママの木は、みるみる、たれていたはっぱをしゃんとさせ、生きかえり、すくすくとのびはじめました。
ところがパパの木はちがいました。やはりかれかかったはっぱは、しゃんとしましたが、あるきはじめたのです。
「そうさ、おまえさんのごていしゅは、あるく木なんだよ。そこをしっかりみなくちゃいけない。」
そうして、あるく木は、金色に光る宿り木を肩に載せて、どんどん歩いて行ってしまった。
(宿り木は不倫関係にあった女性と考えられるが、作中では明確にされていない)

あるく木は、歩かないではいられない。そだつ木と一緒に我慢して植木鉢に収まっていることは出来ないのだ。
そして、そだつ木は、あるく木に乗っかって人生をすごす「宿り木」にはなり切れない。
だから、二人共枯れないで、生きるためには、もう根分けして、絡まりあった根をほぐして、別々になるしかない。

そうして、パパとさようならをしたママと、モモちゃんとアカネちゃんとネコのプーは新しい家に引っ越していく。
新しい家のそばには、やさしいくまさんが住んでいて、シチューを作ってくれたり、アカネちゃんがグズった時にはいつでも預かってあげるわ、と言ってくれる。
そうやって、モモちゃんもアカネちゃんもたくさんの人に見守られながら、すくすくと育っていく・・・。


病気のことも、パパとの離婚のことも、当時実際に生きている人々を傷つけること無く、ファンタジーの中で描かれ、子供の心にもすぅっと入ってくるのは、松谷みよ子の卓越した想像力と表現力によるものだろう。

その後、別れたパパも、何度も物語の中に登場する。
姿形はオオカミだったりするが、心のなかは娘への愛情で溢れている。
そして、ママとは反りが合わなかったけれど、娘達にとっては素晴らしい父親として描かれる。
男らしくて、力強く、冒険を求めてどんどん新しい場所へ歩いて行ってしまうような人だ。

娘の成長には、父親に愛される経験が大切、という話がある。
父親が不在であっても、父が娘を愛していること、素晴らしい人であったことを、母親が伝え続けることは、娘たちの成長にとってとても大切だったに違いない。
松谷自身、夫に対して複雑な感情を持っていたに違いないが、だからこそ、このように児童文学の形をとることで、自分のドロドロした感情を交えずに、父親のことを娘に語り続けることが出来たのだろう。

念のため書いておくと、父親の愛情がなくても、娘はちゃんと育つ。
私自身がそうだからだ。

父親の代わりに、自分が父親らしくなって、家族を守ればいいんだ、と思ってすくすく育ってきた。
私を情緒豊かに育ててくれたのは、母親と、モモちゃんシリーズを始めとするたくさんの本だった。
恋愛には苦労したし、結婚も遅くなったけれど、自分が男らしく頼りがいのある存在でいることが、私自身のコンプレックスを解消するのに必要だったので、仕方がなかったんだろう、と考えている。

けれど、娘には余計な苦労はさせたくないので、優しいパパには積極的に育児に参加してもらい、娘をたくさん愛してほしいと思っている。
そして、世の中を生き抜く知恵として、沢山の本を読んで欲しいし、モモちゃんシリーズも是非読んで欲しい。

【モモちゃんとアカネちゃんシリーズ】

モモちゃんとアカネちゃんの本(1)ちいさいモモちゃん (児童文学創作シリーズ)
松谷 みよ子
講談社
1974-06-27

モモちゃんが赤ちゃんの時から3歳になるまでを描いたお話。モモちゃんの大好きな黒猫のプー、にんじんさん、はつかねずみのチュッチュなど、沢山のキャラクターが登場。「パンツのうた」をはじめとする、ちいさいこどもが大好きなリズミカルな歌や言い回しも沢山挿入されていて、 読み聞かせをするのも楽しそうだ。